ホワイトビール
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いろいろ脱いで、まっ白に戻りませんか。
ドルフィンズは夏の3ヶ月間「ホワイトビールフェア」。
気持ちを素顔に戻す涼やかさでお待ちしています。
6月・・・フルーティですっきり「ミスティックホワイト」
7月・・・爽やかさが通り抜ける「ヒューガルデンホワイト」
8月・・・キリリと駆け抜ける「ヴェデットホワイト」
> 「ホワイトビール」のご購入はこちらから
ホワイトビールの紹介
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ミスティックホワイト
WHITE BY MYSTICミスティックホワイトはベルギーを代表する「ホワイトビール」スタイルです。
ホワイトビールは大麦麦芽や小麦の他に、コリアンダーやオレンジピールを使用しています。
苦みが少なく、少し酸味と甘味があり、フルーティーでスパイシーなすっきりとした味わいときめ細やかな泡が特徴です。
ミスティックホワイトは、ミスティックチェリーのベースとして作られていたものが2006年に、ミスティックホワイトとして販売開始になりました。
日本でも、2010年からの販売で、まだ新しいホワイトビールになります。
ヒューガルデン・ホワイト生
HOEGAARDEN WHITE初めて飲まれた方は驚かれるかもしれません。
淡いイエローの色合いにビールとは思えない、フルーティーなおいしさ、かすかに感じさせるスパイシーさを持ち、誰にでも飲みやすい爽やかな味わいが特徴です。
スペシャルビールはまずこの1杯から。 ドルフィンズが一押しするベルギービールの1つです。
> 専用グラス付き「ヒューガルデンホワイト」の入ったお得なセット
ヴェデット・エクストラホワイト生
VEDETT EXTRA WHITE2008年後半、デュベル・モルトガット醸造所からの新発売。 「VEDETT」とは、オランダ語、フランス語などで、「スター、有名人」という意味です。
「ヴェデット・エクストラホワイト」はプレミアムな味わいと、スッキリとしたデザインの外観が特徴。 自然な原材料だけで造られたスッキリと爽やかなホワイトビール。 キリっとした味わいが続きフルーティーでドライな後味が広がります。 また、このボトルの裏ラベルには「写真」が載ってます。たくさんの方々の「人」の写真。
まさに有名人、スターになった気分になります。そんなユニークさと温かさのあるボトルも特徴です。
> 「ヴェデット エクストラ ホワイト」の入った肉料理セット
ホワイトビールの醸造所
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ハーヒト醸造所の歴史
ハーヒトは1900年初期に開業し、現在は4代目が経営する家族醸造所です。
1800年終期、ビール醸造以前は酪農家を営んでおり、乳発酵食品でとても有名でした。
同じ発酵食品としてビール醸造に携わったのが1898年で、1913年には乳発酵食品と共にビールでも有名な醸造所に発展しました。
もう一つこの醸造所が注目されたのは醸造所内への鉄道の引き込みです。
初めは隣町への配送だったのですが、鉄道の発展によりできたてのビールを鮮度の良い内に首都ブリュッセル等の大きな街に運ぶことにより知名度が上がっていきました。
1929年には順調だった酪農を辞め、ビール醸造に精力を注ぎます。
以来様々なスタイルのビールを醸造し、1937年には歴代最高醸造量を記録しました。
2度にわたる世界大戦でやむを得ず休止した時期がありましたが、1950年に無事初代が醸造を再開。
翌年には2代目が醸造責任者に就任しましたが、1968年に不幸に見舞われ、3代目が醸造を引き継ぎます。
3代目の頃にはベルギー国内だけではなく、オランダやフランスまで販路を延ばし大きな成長を遂げます。
1990年には現在の場所に醸造所を移転し、2006年にはホワイトビールをベースとした「ミスティックチェリー」の販売を開始しました。
この頃、「ミスティックホワイト」は樽、瓶詰されておらずフルーツビールのベースとして醸造されていました。
2010年に大改修を行い、近代的な作りになります。樽、瓶詰ラインも大きく拡張され、「ミスティックホワイト」も販売ラインに加わります。
現在この醸造所のビールは世界中で愛され、ベルジャンピルスナーに関しては市場3番目に成長しました。
> 「ホワイトビール」の入ったお得なセットもございますヒューガルデン醸造所について
ホワイトタイプのビールはブリュッセルの東、ルーヴァン近くの小さな村「ヒューガルデン」で生産が栄え、 村に残されている文献には1318年にはビールが醸造されていたと記されています。 15世紀にはベガーデン神父がこの地に訪れ、ホワイトビールの醸造を始め、 この地区のほとんどの場所で飲むことができたと言われており、16世紀にはこの地にビールギルドも設立されました。
1500年以降、この辺りはリエージュ教皇に属する飛び地でした。
そのおかげでビール醸造、販売の税金などが免税されており、醸造業が盛んになったと言われています。 1700年代にはリエージュ公の領地にビールが送られていたと記述に残されています。
1709年 ヒューガルデン村に12箇所のビール醸造所が設立。
1890年 村内に最大の35箇所のビール醸造所が設立。
1900年 産業革命後、ピルスナービールとの競合や、世界大戦により廃業が続き13箇所に減少。
1935年 廃業は続き、4箇所に減少。
1957年 最後のホワイトビール醸造所「トムシン」閉鎖。
ベルギーで生まれた「ホワイトビール」が歴史から姿を消してしまいます・・・。しかし1965年、ホワイトビールに劇的な変化が起こります。
生きながら「伝説の醸造家」として語られる「ピエール・セリス」の登場です。トムシン醸造所の隣に住んでいた牛乳屋のセリス氏は若い頃醸造所で働いていたこともあり、以前からビール醸造に興味を持っていました。
彼は牛の仲買人をしている父親から借金をし、廃業した醸造所から醸造設備一式を買い、ホワイトビール造りに着手。 翌年の1966年、見事にホワイトビールを復活させ、1977年には古いレモネード工場を買い取り「デ・クライス醸造所」を設立しました。 醸造所の名前は1400年代にヒューガルデン村でビール醸造を始めた修道院にあやかって付けたそうです。 そのせいでしょうか?ホワイトのラベルには「since1445」と書かれています。
復活当初は年配のビールファンが懐かしがって支援をしてくれると思っていましたが、実際には若者にうけました。 従来のエールビールのフルーティーさを備え、新進気鋭のピルスナービールに負けない飲み口の良さ。 それに加え、ボトルの底の澱を見て人々はナチュラルなビールと言うイメージをうけた様です。 口コミでホワイトビールの噂は一気に広まり、デ・クライス醸造所は急速に大きくなりました。ところが1985年に醸造所の一部が火事により焼失してしまいました。 この火事はセリス氏一人の財力では再興することができない程の損失を負ってしまった為、 インターブルー社(現インベブ社)の傘下に入り、再興を果たしました。 この時、醸造所名を「ヒューガルデン醸造所」に変更しました。
15世紀に醸造が始まった「ホワイトビール」は一旦歴史から姿を消したものの、セリス氏の精力的な醸造活動で見事な復活を遂げ、 今では世界各地で愛飲されています。
2009年現在、ピエール・セリス氏は齢87歳。 いまだ現役でホワイトビールを愛し、精力的に醸造活動を行っています。紆余曲折ありつつも、600年以上愛されている「ホワイトビール」。
携わったすべての方に敬意と感謝を込め「乾杯!!」
> 「ホワイトビール」の入ったお得なセットもございますモルトガット デュベル醸造所の紹介
2008年後半、モルトガット デュベル醸造所で「ヴェデット エクストラ ホワイト」は誕生しました。
ヴェデットとは、オランダ語とフランス語で「スター」「有名人」のことです。
ロゴには白い人気物?シロクマが描かれており、愛らしさ溢れるビールです。モルトガット デュベル醸造所が設立されたのは1871年、ベルギー北部のステーンフッフェル村でのこと。
当時ベルギーには4000もの醸造所が存在し、なかなか認知されませんでしたが、醸造者の情熱が地域の人たちの心を掴み、
やがては首都ブリュッセルに住む人々にも広まっていきました。この醸造所の名前を更に広めたのは、1923年に発表された「DUVEL(デュベル)」です。
デュベルとは、この地方の方言で「悪魔」を意味し、黄金色ですっきりと飲みやすい味わいなのにアルコール度数が8.5%と高く、
現在でも「世界一魔性を秘めたビール」と評価されています。モルトガット デュベル醸造所の名を更に広めたものは、チューリップ型の専用グラスです。
その当時までは数ある専用グラスの中でも大振りのチューリップグラスは存在しておらず、
味わい、見た目と共に海外からも高い評価を得はじめます。日本でモルトガット デュベル醸造所が取り上げられたのは2002年のサッカーワールドカップでのこと。
日本対ベルギー戦が開催された時、ベルギー代表のユニフォームにDUVELのロゴが入っていたことで注目が集まりました。ヴェデット エクストラ ホワイトは2008年にベルギーと日本で同時に発売され、ネーミングやロゴ、色合いや飲み口など、
様々な方面より注目のビールとして世界中で愛飲されています。
> 「ホワイトビール」の入ったお得なセットもございます